公益社団法人 尾道法人会 広報No.139

公益社団法人 尾道法人会 広報No.139(page 10/14)[公益社団法人 尾道法人会 広報No.139]

電子ブックを開く

このページは、電子ブック 「公益社団法人 尾道法人会 広報No.139」 内の 10ページ の概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると、今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
公笹川法人尾道法人会博志さんflO年蒲鉾」桂馬蒲鉾商底三代目庖主村上今回は、桂馬商脂三代目出主村上博志さんを訪ねました。尾道の桂馬と一わ耐えば尾道を代表するお土産として欠かすことのできないものであること....

公笹川法人尾道法人会博志さんflO年蒲鉾」桂馬蒲鉾商底三代目庖主村上今回は、桂馬商脂三代目出主村上博志さんを訪ねました。尾道の桂馬と一わ耐えば尾道を代表するお土産として欠かすことのできないものであることはご存じの通りです。今年で創業100年を迎える老舗の三代日応主の村上博志さんはご出身が東京の調布市で、現在専務を務めておられる奥憾の芳子さんと官山学院大学で出逢い、結婚と同時に尾道の桂町商広に入社されました。東京のにきご尊父は医師をされておられ、博走さんの兄も医師、弟は曲科医になっておられます。大学時代、立は千葉や湘南の海でサーフィン、冬はスキ!とスポーツ好きの典型的な都会の大学生だったそうです。奥様の芳子さんは桂同商屈の長女として育ち、子供時代から将米は稼業を継ぐ意思を持っておられ、結婚相手としても当然尾道にお姉さんに来てもらえる人を考えておられたそうです。お二人の間にもお嬢さんが三人生まれ、長女の優美さんに今年待望の長引がお生まれになったそうです。現金長の隆さん以来、実にお年振りの男子誕生となり、桂馬商府にとって100周年と合わせて記念すべき年と在りました。「100年の匠」初代目造さんが午年でワまどし)生まれだったことから、屋号を佐馬両応と名付けられたそうです。また将棋の駒「佐同」は前にしか進めないことから縁起も良いと考えられたようです。当時の問答品の主流であった和菓子に切って当時としては珍しい納入りの蒲封を贈答用に販売することを考案されました。初代から続く「良い商品を作り続けること」の制神は引き継がれ、社HKともなっている「一味同心」の言葉と共に桂馬商高100年の匠の拠り所となっているようです。民近ではやはり和菓子に四季折々の商品があるように怯馬揃鈴でも季節ごとの新商品を販売するようになっていますが、これは長女優突きんのアイデアだそうです。優美さんは成城大学を卒業後自ら進んで小悶原にある老舗の市鉾応に就職され二年間修業の後尾道に帰り家業を手伝われています。同業他社の中には大量生産、全国展開を目指す会社も多い現在でも、ひたすら古ながらの材料と製造方法に拘り続け本物の昧を追草されていることは誰もが知るところで、それが現在の佐馬商応の匠の味となっていることは明らかです。時志社長も尾道に来られた当初は蒲鉾に閲しては全くの素人で、まさにゼロからのスタート戸弓たそうです。東京から迫く離れた慣れない土地で工場の現場に入り大変なご苦労をされたようです。朝は4時から仕事が始まり、魚屋さんから届いた初キロ入りのトロ箱を毎朝何箱も迎ぷ革労働から引事が始まるそうです。尾道に来た当初は肉体的にも精神的にもかなり辛かったようですが、東京のご時文が「石の上にも3年」と一討って送り出してくれたことを忘れず頑張り続け、緊張とストレスから半年後には目潰場になられたそうです。迎える桂馬商高の期待も大きく、結婚を契機に当時の社屋を取り壊し現在の新社屋を建設され将来の跡継ぎを迎えられたことは有名な話です。今となっては英い話しとして聞かせてもらいましたが、当初は方官にもuTH労され、職人さんとの会話や商広街の皆さんとのコミュニケーションの中で覚えていかれたそうです。その桂仕事にも慣れ、耐脂街の同世代の人ともお付き合いがはじまり、さらに児道官年会議所に入金され尾道の中での友人も噌えていき、続問商応の=一代目としての責任の重きと誇りを少しずつ実感されていったようです。「101年へ町継続」いかに桂馬商脂とは一百え的今の世子高齢化、泊費者の晴貯の変化、大型応による大量、廉価口川の流通など時代の流れに全く似世間関心ではいられません。作れば売れる時代でなくなったことは認めざるを伴ない最近の社会情勢です。雌材料の組に附しても位界的な乱獲、天候民変なとにより安心して調達できるとは限らなくなっているそうです。距れた天候が続くと漁に出るのが難しくなり魚が明朝届くかど、っか不安で蹴れないζともあるそうです。しかし時代がどう変わろうと、尾道の桂馬商脂として今まで以上に存在感のある尾道を代表する老舗としてお客僚の期待に応え続けていくことが求められます。老舗の味を苛り続けるためにお客様に支持される物づくりと時代の求める商品を提案・提供し続けることを約束されています。社長の心に強く残っている言葉があるそうです。とある常連のお客様に「尾迫から桂鳴が無くなっては困る」とまで言われたそうです。商売人としてこれ以上の替め言葉はあり得ないと制いわれます。これからも、『みなと町尾道」の歴史と伝統の一興を担う自負を持って老舗の看板を継続していかれるものと信じます。(音聞大造)